CDとLPレコードの主な演奏者です。おおむねCDとLPの解説に沿った紹介で、肖像写真はペーテルの許可を得て商品のジャケット等から転載。生誕年順。一部未完成ですが公開します。
アラダール・ラーツ(Rácz Aladár, 1886.2.28 - 1958.3.28)
ハンガリーを代表するツィンバロン奏者。3歳でツィンバロンを始め、6歳の時に地元のジプシー楽団で演奏し始めた。高校を卒業後、その楽団に正式入団。ブダペストだけでなく、パリ、カイロ、ジュネーブなどヨーロッパ各地で演奏活動を行った。サン=サーンスから「ツィンバロン界のフランツ・リスト」と呼ばれた。
1910〜1935年にフランスやスイスに居住。1915年にストラヴィンスキーと知り合い、ストラヴィンスキーはラーツに曲を提供した(商品のCDとLPに収録)。
【リンク】
Rácz Aladár (Magyar Wikipedia)
イロナ・カボシュ(Ilona Kabos, 1893-1973)
ハンガリー生まれのピアニスト。リスト・フランツ音楽院に学び、1915年にリスト賞を受賞。1930年から36年、王立ブダペスト音楽院で教鞭を執る。1942年、ロンドンでピアニストのルイス・ケントナーと共にバルトークの《2台のピアノと打楽器のための協奏曲》の世界初演を行った(アドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィル)。1951年に米国デビュー。結婚後はロンドンを中心に演奏活動を行った。
【リンク】
Ilona Kabos (Wikipedia)
ティボル・シェルリ(Tibor Serly, 1901-1978)
ハンガリー生まれの米国の作曲家・指揮者。1905年、3歳の時に両親と共にニューヨークに移民。1921年から25年までブダペスト王立音楽院で作曲と指揮を学び、優秀な成績で卒業。この間にバルトークと親交を深めた。バルトークの《ピアノ協奏曲第3番》の最後の17小節のスコアを完成、《ヴィオラ協奏曲》の自筆草稿から曲を復元した。
シェルリ(Serly)の発音についてはハンガリー語の原則で「ly
= i」と理解した「シェルイ」もありますが、2009年にペーテル・バルトーク氏は「シェルリ」が正しいと明言しました。
【リンク】
Tibor Serly (Wikipedia)
フランコ・アウトリ(Franco Autori、1903-1990)
イタリア出身で、後に米国で活躍した指揮者。
ウィリアム・プリムローズ(William Primrose, 1904-1982)
スコットランドのグラスゴー生まれで、米国で活躍したヴィオラ奏者。
【リンク】
ウィリアム・プリムローズ(Wikipedia)
エンドレ・コレー(Endre Koreh, 1906-1960)
ハンガリー生まれ。
ジュディス・ヘルヴィヒ(Judith Hellwig, 1918-1980)
ハンガリー生まれ。
フランセス・マグネス(Frances Magnes, 1919-2010)
アメリカ生まれのヴァイオリニスト。フランス留学から帰国後、恩師アドルフ・ブッシュ率いる弦楽オーケストラでソリストとして活躍。1946年にカーネギーホールでリサイタルを開いて以来、アメリカ、カナダ、南アメリカ、イスラエル等でリサイタルやオーケストラとの共演を成功させた。その後、ニューヨーク州スカースデールのホフ・ベテルソン音楽学校で長く教鞭を執り、弦楽オーケストラを指揮した。
【リンク】
Frances Magnes (Historic Saranac Lake)
Adolf Busch & Frances Magnes "Concerto for 2 Violins, Part1" by J.S. Bach (Youtube)
レオニド・ハンブロ(Leonid Hambro, 1920-2006)
米国のピアニスト。シカゴに生まれ、ジュリアード音楽学校に学ぶ。1946年のリサイタルで《戸外にて》の〈夜の音楽〉〈狩り〉を取り上げて以来、バルトーク作品の演奏者としての評価を得る。1952年、急な代役でニューヨーク・タウンホールの舞台に立ち、作曲者・指揮者のヒンデミットから「奇蹟」と称賛された。ニューヨークフィル所属のピアニストで、リサイタルやレコーディングも積極的に行った。
【リンク】
Leonid Hambro (Wikipedia)
Leonid Hambro Pt.1 (Youtube)
Leonid Hambro Pt.2 (Youtube)
ロバート・マン(Robert Mann, b.1920)
米国のヴァイオリン奏者・作曲家・指揮者。オレゴン州生まれ。1938年にニューヨークに移り、ジュリアード音楽学校に学ぶ。ジュリアード弦楽四重奏団の1946年の結成以来、1997年の引退まで第一奏者。
作曲家としてルーシー・ローワン夫人の語りが入る室内楽曲を30曲ほど書いた。《おはなし》もその1つ。
【リンク】
Robert Mann (Wikipedia)
Robert Mann (Manhattan School of Music)
スタンリー・ドラッカー(Stanley Drucker, b.1929)
米国のクラリネット奏者。ニューヨーク生まれ。15歳でカーティス音楽院に入学、1年後に16歳でインディアナポリス交響楽団でデビュー。1948年に最年少の19歳でニューヨークフィルに入団、1960年に首席奏者になる。2009年に退団するまで「62年7ヶ月と1日」の同団在籍はギネス記録。
【リンク】
Stanley Drucker (Wikipedia)
Leaving a legend (Youtube)
ニューミュージック弦楽四重奏団
ヴァイオリン:Broadus Erle
ヴァイオリン:Matthew Raimondi
ヴィオラ:Walter Trampler
チェロ:Claus Adam
ニュー交響楽団(ロンドン・ニュー交響楽団)
1950年頃にデッカ社がロンドン近郊の奏者で結成したオーケストラ。